あめたまさんの、素敵な記事に感化されて(*´д`*)
LINK甘酸っぱい恋の話をしようと思う。 | Love2Labo.com.
ちょっと書いてみましたー
私も昔は中学生であった
先日、ネットのニュースで赤瀬川原平氏が亡くなったことを知りました。
この記事で写真を見てびっくりしました。
私の記憶ではこんなに老齢ではなかったので・・・。
それもそのはず、何故この方の名前を記憶しているかと言うと、だいぶ昔の話、私が中学生だった頃のことです。
よくある話ですが、私の中学は何かしらクラブ活動に入らねばならぬという規則がありました。
その中で私が選択したのは路上観察クラブという、社会科の先生がその年に新しく作った、わけがわからんクラブでした。
活動内容は、そのまんま、路上を観察すること!w
いかにも、運動は苦手だけど普通の文化部じゃイヤだわ、という人が集まりそうな中二病的発想ですが、実際中学生だったので仕方がありません。
その時の教本として全員購入したのが、赤瀬川原平氏の本でした。
案外面白くて、購入して結構ちゃんと読みました。
例えば「階段があるのに登った先には何も無い」とか、「壁のどうやっても届かない高さに突然ドアがある」とか、そういった路上にある建造物の謎めいたものを「トマソン」と呼んで、写真に収めたりして楽しむのです。
その頃の名残か、散歩をしていて、ふとそういう謎めいた建物を見ると、おや…と思ったりします。
結構楽しいです。
おお、こんなサイトもあるんだな・・・
LINKトマソン・コレクション.
からの甘酸っぱい話
トマソンの説明はこれぐらいにして。
その、わけがわからない「路上観察クラブ」に入って、初日の活動日。
酔狂な友人が、バドミントン部と掛け持ちしてくれると言うので、一緒に活動場所である3年生の教室に向かいました。
3年生の教室のあるフロアに行くことも滅多に無いので、それだけでもどきどきしました。
どんな人がいるのかな・・・と、教室へ向かうと、そこに!
私が憧れていたK先輩の姿がありました!
K先輩はサッカー部に入っていました。
恋に恋していた我々女子達は、放課後の校庭で活動している姿を眺めては、それぞれお気に入りの先輩を既に見つけていました。
どうして、もうサッカー部に入っているのに!
こんなわけわからんクラブと掛け持ちなんて!
と、高まる私。
K先輩も中二病だったということでしょう。
それからそれから
路上観察クラブの活動は、基本的には各自、路上を観察することです。要するに、ただの散歩w
私も、活動時間に友人と中学校の周りをウロウロしました。
なんとなく、その先輩の後ろをチョロチョロ付いて行ったり。
でも。
その先輩には彼女がいるという噂がありました。
そして、中学生当時の私は、憧れの先輩とお近づきになろうなんて考えられるほど、容姿に自信がありませんでした。
夕食のおかずが毎日唐揚げだったら良いのにと願う、太ましく、オシャレではない女子でしたw
そんなわけで、先輩が卒業するまでの二年間、廊下ですれ違うたびにキャーっとなったり、放課後にサッカーしているのを眺めてはキャーっと思ったり、それだけで過ぎて行きました。
卒業しちゃうよ!
そして先輩の卒業式。
卒業生が校門の辺りでだべっているのを、遠巻きに見ている我々女子達。
漫画みたいにお節介な友人が、「先輩卒業しちゃうよ!いいの?!」とけしかけてきます。
私は、顔を真っ赤にしながら、勇気を振り絞って、K先輩のところへ行きました。
「せ、先輩、第二ボタンください・・・!」
第二ボタンだって!
今どきの子もやるんだろうか、こういうことを!
私の中学は、男子は学ラン、女子はセーラー服でした。
先輩の第二ボタンはまだ、残っていました。
「はい」と笑って、ボタンをくれました。
ボタンをちぎるとき、なかなか糸が切れなくてちょっと焦った感じが可愛らしかったなぁ。
以上です
それっきり!それっきりですよ!
ウブでデブな中学生だったので、もうそれだけで嬉しかったのです。
ボタンはしばらく、大事にとっておいたけど、実家が引っ越したり何だりで、いつの間にかどこかに行ってしまったなぁ・・・。
というようなことを、訃報を聞いてちょうど思い出していたところだったのでした。
こんなブログからですが、赤瀬川原平氏のご冥福をお祈りいたします。
なお、路上観察クラブは、1年で廃部になりました…。
その後の2年間、私は美術部の幽霊部員でございました。