ぐうたら紺と夫のふたり暮らし

のんびりだったり、病気だったりする、ふたり暮らしの日常

独り言

「緩和ケア」は患者本人のため?家族のため?

投稿日:2015年5月4日 更新日:

こんばんわ、紺です。

ゴールデンウィーク中に空気も読まずにアレなのですが、
今日は完全なる私事で少々重たい話です。

先日からずっと、記事にするか悩んで、書いたり消したりしていましたが、
どうしても色々と考えてしまう大きな出来事なので、書いておきたいなと思います。

今日はそんな気分じゃないよ~という方は、今度、またお気楽な記事を書いている時に、
いらしていただけたら嬉しいです!(*´▽`*)

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祖母の病状

うちの父方の祖母の話です。

3月の末頃に、父からメールがあり、祖母が胃ガンだと知らされました。
ステージ4で他の部位にも転移しており、年寄りなので手術をしても
手遅れということでした。

入院したことすら知らされておらず、いきなりのことで頭が真っ白・・・。
とにかく、すぐその週末にお見舞いに行きました。

これを書いている時点では、存命です。

今までに3回お見舞いに行き、色々思うことがあって文章がまとまらない
のですが、今回は緩和ケアのことを主に、書いていきますね。

4人部屋はカオス

最初にお見舞いに行ったときには、老女ばかりの4人部屋で、なかなかのカオスでした。
5分起きぐらいに「ここが痛い、看護婦さんを呼んで」と言っている方や、
「うちは誰も見舞いに来ない」とグチグチ言っている方など・・・。
落ち着かなく、色々な思いが去来して、なんだか私まで病気になってしまいそうでしたw

その中で、祖母はベッドの上にちゃんと座っていて、その病室の中で一番元気に見えました。
「紺ちゃん、おばあちゃん、がんになっちゃったわよ~」などと言っているので、
なんか思ったよりも元気!?と、ちょっと拍子抜けし、安心してしまいました。

祖母本人には、息子である、うちの父からがんだと告げたそうです。

告知についても、色々考えるところがあるので、また別の記事でも書こうかな・・・
長くなってしまいそうなので^^;

「緩和ケア」って何?

その後、4月の上旬に「緩和ケア病棟に入って、個室になったよ~」と
また、父から連絡がありました。

「緩和ケア」というのは、私には聞き慣れない言葉でした。
「緩和」ですから、痛みを軽減するということかと思いましたが、それだけではないようです。

詳しいサイトがありましたので、引用させていただきます。

「緩和ケア」の定義とは?

・痛みや、そのほかの苦痛となる症状を緩和する。
・生命を重んじ、自然な流れの中での死を尊重する。
・死を早めることも、いたずらに遅らせることもしない。
・死が訪れるまで、患者さんが自分らしく生きていけるように支える。
・患者さんの治療時から、患者さんと死別した後も、ご家族を支える。
・患者さんやご家族に、心のカウンセリングを含めたさまざまなケアをチームで行う。
・生活の質(クオリティ オブ ライフ:QOL)を向上させ、前向きに生きるちからを支える。
・がん治療の初期段階から、外科手術、化学療法、放射線療法などと連携しながら、緩和ケアを行う。

引用元:緩和ケア.net がんの症状と「緩和ケア」.

つまり、無理に希望していない治療や薬を施すことはせず、
亡くなるまでの時間、本人の意思を尊重して過ごせるようにしましょう、
ということなのかな、と解釈しました。

祖父も、私が二十歳過ぎの時に前立腺がんで亡くなりました。
点滴や様々な管を体中に付けられていた姿をよく覚えています。
父も、祖父のその姿が辛かったのでしょう。
初めから、祖母に抗がん剤を使うことは考えていなかったようです。
祖母本人の希望も聞いて、納得した上で、緩和ケア病棟に移ることにしたそうです。

緩和ケア病棟での過ごし方

病院により異なるとは思いますが、今回、祖母が入院している病院の設備や制度について、書いておきます。

食事

驚いたことに、緩和ケアでは「好きな食べ物」をリクエストすることができます!
うちの祖母は、アイスクリームをリクエストしたそうで、毎晩、夕食のデザートに
アイスクリームが出てきていました。

また、私がお見舞いに行った日は、たまたま「花まつり」の行事献立の日で、
春らしい桜ごはんや、天ぷらもついていて豪華でした!
祖母も「病院で天ぷらが出るなんて~」と喜んでいました。

が、その頃には、もう1品につきひとくち程度しか、食べられなくなっていました。
それだけでも、苦労しいしい、ゆっくりと、苦しそうに食べていました。

祖母は食事をほとんど残してしまいましたが、看護師さんに
無理に食べるよう促されることもなく、快く(?)下げてくださっていました。

ちなみに「食べてはいけないもの」などの制限はなく、家族がなんでも
本人が好きなものを買ってきて、持ち込んで食べてもらうことができます。
塩分や糖分の制限以前に「好きなものを何でもいいから食べる」ことが優先の
状態だったのだと思います。

お風呂

緩和ケアに移ってから、毎日ではありませんが看護師さんがお風呂に入れてくれる、と
祖母は喜んでいました。
以前の4人部屋の時は、看護師さんがからだを拭いてはくれるものの、
お風呂は無かったそうです。

トイレ

4人部屋にもトイレは付いていましたが、当然ながら4人で1つでした。
緩和ケアの個室にもトイレが付いており、専用のトイレと洗面台があります。

設備

4人部屋も同じですが、テレビと冷蔵庫が一人1つ付いています。
が、カードを購入して入れないと使えません。
テレビはともかく、冷蔵庫も?と私は少し驚いてしまいました。
ただし、緩和ケアのフロアには広いロビー兼談話室のようなスペースが有り、
共用の冷蔵庫やレンジが利用できます。

その他、緩和ケアの個室では、部屋が広いのでタンスとテーブルが付いています。
お陰でお花が飾れるようになりました(^^)

イベント

毎日ではありませんが、緩和ケアのフロアでは様々なイベントが行われます。
ボランティアの方による音楽の演奏や、私が行った時には無料のドリンクサービスが
行われていました。

悲しくなってしまって詳しくは聞けなかったのですが、結婚式も行われていたそうです。

お見舞いの時間

通常の病室では、お見舞いの時間が朝○時~夜○時まで、などの決まりがありますが、
同じ病院でも緩和ケアのフロアだけは、制限がありません。
何時でもお見舞いに行くことが出来ますし、夜通し付き添うことも可能です。

「緩和ケア」は誰のため?

先日、緩和ケア病棟に移ってから2回目のお見舞いに行きました。
父から、固形物や味がついたものが食べられなくなり、もう一週間以上、
口にできるのは、氷とお水だけと聞いていました。

さぞかし痩せているのかな・・・と思いましたが、顔だけ見た感じは、
元々痩せ気味のせいもあり、そこまでの変わりようではありませんでした。
ただし、手足はやはり痩せ細っていて、もう歩けなくなっていました。

私が来たことも認識してくれたし、私が持っていったお花を細い声で
「きれいね~」と言って喜んでくれました。
一週間以上、お水だけにしては元気・・・だと思いませんか?(思いたい!)
でもやはり、前回に比べたら格段に、悪くなっていました。

点滴を拒否

なまじ、祖母の意識がはっきりしているのが、良くも悪くも、なのですが。

そんな状態なので、栄養を点滴で入れましょう、という話になっても、
祖母が激しく嫌がるそうです。

先ほど書いたように、患者本人が嫌がることをしないのが「緩和ケア」です。
当然、点滴も、じゃあやめましょうということになります。
固形物も飲み込めないので、薬も飲んでいません。

何のための、入院なのか

私は正直、その状態を、「物足りない」と感じました・・・。

ほとんど寝ているだけでカロリーを使うこともありませんが、
お水だけでは何の栄養も無ければ、何の作用もありません。
これでは、漫然と死を待つだけじゃないのか、入院している意味があるのか・・・?と思ってしまいます。
看護師さんは様子を見に来てくれますが、それだけです。

どんな薬も点滴も、ただの延命措置に過ぎないとしても、それでも
息をしていることと、していないことは、家族にとっては大きな、
大きすぎる差があります。

自分だったら、自分の親だったら

とは言え、孫の私が口を出せることでもなく。
本人と、息子であるうちの父が納得して決めたことなら、それで良いのだろう・・・、
と、思おうとしています。

そこでつい考えてしまうのが、次に順番がやってくるであろう、自分の親のことです。
祖父も祖母もがんになったということは、うちの父も、そして私も、いわゆる
がん家系ということになるのでしょう。

がんでなくとも、老齢で何かの病気になり完治の見込みが無い場合、
私は今回の父と同じように、両親に対して何れかの選択をしなくてはならない時が
やってくるのかもしれません。
そのとき、自分がどんな選択をするのか、考えておかなくてはいけないと思いました。
長女って、本当に嫌な役目ばっかりですね!w

仮にですが、私に子供が出来て、同じような状況になったときは・・・
無理して延命しなくて良いと、言うだろう、とも思います。

死に方の正解とは?

私は若い頃、割りとよく、死にたいと思い悩むことがありました(゜∀。)

30歳を過ぎてからは、30までに死ねなかったのならもう諦めて出来るだけ
楽しく生きよう、と考えるようになりましたが、その当時は「死にたいように、
死にたいときに、自分で死に方を選ぶ権利もあるんじゃないか」と思っていました。

でもそれは、遺される人の気持ちをまったく無視した、幼い考えだったのだ、と
改めて思っています。
死に方の正解を出すのは難しいですが、以前の私が考えていたのは完全な「誤答」です。

祖母は昭和4年生まれ。
激動の時代を生き抜いて、もうすぐやっと安らかに眠れるのなら、それを本人が
希望しているのなら、それが祖母にとっての正解、なのかもしれません。

幸いなことに、祖母は最近は痛みを訴えたり、眠っていて苦しそうに
うなされたり、ということがありません。

今、私が祖母に出来ることは数少ないですが、せめてまた顔を見せに行って、
手を握ってこようと思います。

ついつい、長くなってしまいました!
お読みいただき、ありがとうございました。

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