こんばんは、紺です。
もうすぐ、私はまた1つ年を取ります。
誕生日を前にして、なんだかちょっと、おセンチメンタルな気分です。
気持ち悪いなとお思いかもしれませんが、よかったらお付き合いください。
なんかあれよね。
最近、気づいたのだけど、女性のブロガーさんで、結婚されていてお子さんがいない方って、あんまりいないですよね。
なんでだろうか。
私はまだまだ、子供だ
例えば、会社の同僚、先輩だったり上司と何気なく話しているときに。
先輩「うちの子、最近パパとお風呂に入るの嫌がるのよー」
なんつって、お子さんの話になることがあります。
そんな時、いつも自分が返す言葉に、いつからか違和感を抱くようになりました。
私「大人になってきたってことですよ~♪私も小学校2年ぐらいまでだったかなぁ」
これ。
私のこの発言、自分のポジションが「子供」の側なんですよね。
まぁ、うちは子供がいないので「うちの子は~」とか言えるわけもないのですが、私もとっくに30歳を過ぎておりまして、いかがなものなのかと。
かといって、会ったこともない、会社の人んちの子供にそう興味が有るわけでもなく、つっこんで聞くような質問も思いつかないので、どうしたもんかなと思うのですが。
大概、飲み会だったり休憩室だったりの世間話なので、べつに相手も何か面白い返答を求めているわけではないと思うのですが、こういうことを繰り返すうちに、私はしみじみ、思うのです。
子供を持たない限り、親の目線にはなれない。
私の立場はそれまでずっと、「子供」側なのだ、と。
夫もまだまだ、子供だ
ある日、夫がyoutubeで歴代のドラクエシリーズのBGMを聴いておりました。
夫は40を過ぎており、現役ドラクエ世代。
夫はドラクエの音楽を聞きながら、いちいち、懐かしい懐かしいと呟く。
そして、「もう、どんなゲームをやっても、飛行船を見つけた時のわくわくや、初めて空を飛んだ時の感動を、二度と味わえないんだろうな。大人って悲しいなぁ・・・」などと嘆くのです。
でも、傍らでそれを聞いていて、私はふと思ったのです。
確かに、小学生の頃の純真さで、新しいゲームを楽しむことは出来ないだろう。
その代わり、だからこそ、大人は自分の子供を通じて、自分の子供がそのワクワクを体感する瞬間に立ち会うことや、
子供の目を通しての感動を味わうことが出来るんじゃないだろうか。
子供を通じて、自分が子供だった時のことを追体験出来るのではないだろうか。
例えば、うちの姪は天才
今では5歳の元気な幼稚園児になった姪(妹の長女)ですが、まだ、やっとお座りが出来るようになった頃の話。
姪が、床にちょこんと座っておとなしく遊んでいたかと思えば、ふと、天井を見上げて、にこにこ笑っているのです。
こいつ何が見えてんだろう怖いわ、と思ってその指さした先を見ると、天井にきらきらと光って揺れる、水の影が。
うちの父が、植物に水をやるためにバケツに汲んでベランダに置いていた水に陽があたって、それが天井に反射して写っていたのです。
きらきら、ゆらゆら揺れる光が気に入ったようで、嬉しそうに、にこにこしている。
その時の気持ちを、私はなんと表現したら良いのかわからない。
私たちが見ても「あ、写ってんな」としか思わないものが、姪の目には、すごく新鮮で素敵な、きれいなものに見えたのかなぁ、と思って、なんだかすごく感動したのです。
そういう感動を味わえるのが、大人ならではの特権なのかもしれない。
まぁ、うちの姪は天才芸術家の素質があるんじゃないか!?と思っているのですが・・・(伯母バカ)
「大人=親」か?
ところで、ここまで「大人」とか「子供」とか書いておりますが、ここで言う「大人」とはほとんど「親」のことを指しています。
では、大人になる=親になる、ということなのでしょうか?
ある意味では、そうなのだと思います。
自分の分身を世に出すために、一人前に育て上げなければいけないわけですから、子供の前でふざけたことも出来なくなってしまいますしw、大人にならざるを得ない、という面がある。
大切な子供を守るためなら、きっと、何にだってなれるのでしょう。
とは言え、世の中には「こんな人が子供の親に」と眉を顰めてしまうような人もいれば、親が子供に対して起こす、悲しい事件もあります。
だから、親になる=大人になる、だとは思っていない。
ついでに言えば、私は自分の子供がどうしても欲しい、とは思っていない。
それこそが、私が子供であることの証なのかもしれないのだけれど。
お子さんがいるみなさま。
大人になれましたか?